校長挨拶
本校では、共に学び、共に育つことを大切にしています。10人の学生がいれば10通りの考え方があり、教えられることは数々あります。学生を家族の一員として、いつでもあたたかく見守ります。
入学後は学生一人一人と個人面談をしながら色々なことを話し合います。進路相談はもちろん、学生自身のことや時には家族の事など・・・個人面談をすることにより学生一人一人の人間性を理解し、共感し、導くことにより本当の指導ができるのだと思います。
また、創始者(前校長)の『卒業生がいつ母校に顔を出しても、当時と同じ顔ぶれ(教師)で迎えたい』という考えから、卒業後も近況や仕事の悩みを相談に来る卒業生も多くいます。卒業生と講師は皆家族のように一生おつきあいしていくなかで、卒業後も共に学び、共に育つ関係でありたいと思っております。
多くの学生は卒業まで短い在籍期間ではありますが、自分を知り、長野ビジネスアカデミーで学んだことを誇りに、社会人として活躍することを願っております。
講師紹介
実質的な指導ときめ細かいアドバイス。私たちがあなたをサポートします。
校長 | 石田彰男(職業訓練指導員・ITリテラシー) |
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教頭 | 石田美香(パソコン・ビジネスマナー) |
講師 |
伊藤光之(販売士) 平林倫子(簿記・税法) 柄澤美樹(キャリアカウンセラー) 田幸良友(民法・商法) 倉澤由貴子(webサイト・プログラム) |
アクセス
沿革(アカデミーヒストリー)
昭和6年4月 |
昭和7年 修学旅行 |
昭和7年1月 日本タイピスト女学校幹事 |
昭和10年 構造授業風景 |
昭和6年4月 | 長野邦文タイピスト養成所として発足。 |
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昭和28年4月 | 長野県公認「長野タイピスト学校」となる。 長野市大門町より県町へ 移転。 |
昭和52年8月 | 新校舎落成 (地上3階、一部4階、鉄筋コンクリート) |
昭和58年4月 | ワープロ科新設。 |
昭和60年10月 | パソコン科新設。 |
昭和61年4月 | 「長野ビジネスアカデミー」と校名変更、 現在に至る。 |
0A機器のルーツ
タイプライターの移りかわり
OA機器はすべてタイプライターの概念が基盤になっています。
定説とされている最古の書記機械(タイプ)は1714年英国のヘンリー・ミルが作ったものとされています。
しかし、実用化の段階にまで高めたのは、1868年米国のクリストファ・ラセム・ショ ールズだとされ、1873年レミントン社で史上初めての実用機が量産され、その普及に女子タイピストを養成し初めて事務職場に婦人の門戸を開いたことは特筆されます。
1878年世界で初めてニューヨークのブロードウェイにタイピスト学校が設立されました。
我が国においては、大正3年杉本京太氏が試作機を発表し、印刷革命の口火を切りました。
それが、「日本タイプライター(株)」の設立につながりました。
そして同社が我国に於いて初めて「日本タイピスト養成所」を設立し
その指導に基づき昭和6年、長野県に初めて「邦文タイプ養成所」
が設立され、これが現在の当校に引継がれております。
なお、その後ワープロの普及に伴い平成 10年に製造が打ち切られました。タイプライタ
ーの移りかわりをみますと時代の流れがよくわかります。
訓練委託
当校では以下の機関より職業訓練の委託を受けております。
- 長野県職業能力開発協会
- 独立行政法人 高齢・障害・求職者雇用支援機構
長野職業訓練支援センター - 長野技術専門校
- 公共職業安定所
- 長野県